「療育に行ってきた」子供との関わり方がわからないダメ親

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おもちゃで遊ぶ幼児

先日、息子の発達の相談に行ったところ市の療育センターに通うことを勧められ、昨日見学に行ってきました。

保健センターに発達相談に行ったら「療育」に通うことになった

話では親子教室での見守り的な感じとは違って、こっちは親のほうが指導されていろいろやらなきゃいけないということだったので、とても緊張して行きました。

けれども私としては親子教室でもずっと息子を追いかけまわしていたからなのか、そんなに変わらずな感じで、その点はちょっと安心した。

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療育での息子の反応

砂遊びをする子供

楽しかったのかなぁ?

一日中一緒にいるというのに、私はいまだ息子の気持ちが理解できないことがあります。

楽しそうにしてはいた。

けれども酷く泣くシーンがかなりあったので。

 

「場所見知り」なんかはしていなかったと思う。

おもちゃさえあれば楽しく遊べる子だし、人見知りはしないというか、おもちゃがないようなところだと自分から子供にくっついていくくらい同世代の子に興味を示す子なので、他の子が嫌というのも全然なかった。

けれどもどうやら、うちの子は「待つことが苦手」

これはずっと気づいていて、最近うちの中でも待たせることをやっていたけれど、本当に待てない。

なので昨日は、待たされるシーンになると泣きじゃくって暴れて大変でした。

保育園や幼稚園の前に行くと、仲間に入りたそうなそぶりはすごく見せるので、そういうのに興味はある。

けれども昨日は息子にとって楽しいことだったのかなぁ?

ちょっと疑問。

まだ聞いても答えられないので、気持ちを知ることができないのがもどかしい。

親として「逃げたいけど逃げないと決めた」

ポイント

本当は昨日も逃げたかった。

以前親子教室に参加したとき、実は私はそこで指導してくれる職員の目がとても怖かった。

子供が手がかかるから大変という理由もあったけれど、この子ちょっとヤバイでしょ?と思われているような気もしたし、そういう目で見られているんじゃないかと気になって仕方なかった。

そして私自身も「変な親」と思われているんだと、すごく被害妄想が入ってしまっていたのです。

これも摂食障害になりやすいタイプゆえのことなのかもしれない。

こんな場面でも「自分に自信がない」「不安が強い」というのが仇となっている。

 

今日のタイトルの
「子供との関わり方がわからないダメ親」
とは、療育に来ていたほかのお母さんのことではなく私のことであります。

市の支援センターや保健センターの親子教室なんかに参加したときにも思っていたけれど、私がダメ親だから息子の成長に影響しているのかなぁと考えてしまう。

関わり方が全然わからない。

他の親子の関わりを見ていると、みんな上手にやっているなぁと感心してしまう。

「お母さん上手にやってますね」と言われても、自分の育児の仕方に自信が持てないので、言葉を疑ってしまう。

わからないから逃げたくなる。

息子からも育児からも、療育センターからも。

昨日もやっぱり、いちばん手っ取り早く「過食嘔吐」に逃げてしまおうとすら思った。

けれどもそれをしてしまったら、最近頑張っていた努力が水の泡。

それに今こんなときに息子のことで過食嘔吐に逃げるという行為は、なんだか息子を裏切ることのような気がしたので踏みとどまった。

 

明日はわからない。

療育に通い始めてからもわからない。

嫌になって、そのうち本当に過食嘔吐に逃げてしまうかもしれない。

けれども、療育に通うことからはとりあえず逃げないことに決めたのです。

「ダメ親」なのかもしれない、だけど息子のことは心配

母と子

まわりの目はやっぱり気になる。

昨日だって、もうそういう場所だからこの子はどうこうとは思われていないだろうけど、今度は親の私がさらに監視されているような気分になっていた。

「この親だからダメなんじゃないの?」

酷い被害妄想だ、とも思う。

けれどもそう感じてしまって怖かった。

そういうのが摂食障害を治そうと思っている私にとっては、すごいストレスになる。

でも今はそんな自分の理由なんて関係ない。

息子の成長のために必要なことなら。

 

比較的早い時期に療育に繋がれたのは幸運なこと。

話によると、もっと後になって指摘されて気づく親子もたくさんいるという。

息子が将来困るようなことにはしたくない。

自分と同じような人生を歩ませたくない

風船

なんかそれって、大人がよく言っていたセリフだなって思う。

そして私もそんな大人になってしまった。

 

私が小さなころは、知恵遅れと呼ばれるような子はいたしそういう学級もあった。

けれどもそれ以外の子はみんなおなじクラスにいて「発達障害」なんていう言葉はなかったように思う。

今そういう言葉をよく耳にするようになってきて
「もしかしたら私もそういう部類の子供だったのかも?」
と思うようになっていた。

 

そう、私はどちらかというと浮いていたのです。

クラスから、みんなから浮いているような子供だった。

それは自覚しているし、落ち着きもあんまりなかった。

なのでちょっと遺伝要素もあるのかなと心配している部分もある。

けれどもその程度の障害が息子にもあるのだとしたら、今してあげられることをしておけば、学校に行くころにはまわりに馴染めるようになるかもしれない。

 

馴染めない自分が嫌だった。

馴染めないのに誰も助けてくれないのが辛かった。

ただ批難されて死にたくなった。

同じような気持ちを味あわせるのは嫌。

生きていくのに多少の劣等感も必要なんだろうけれど、必要以上の劣等感なんて感じていいことはたぶんない。

「自分に自信がない」という感情は、生きていくことの邪魔になると親の私がいちばん実感しているから、そんな気持ちはあまり持たせたくない。

 

これは今まで好き勝手やってきて、自分を変えることを拒んできた私の成長のためでもあるような気もしているのです。

息子と一緒に自分も良く変われるのだとしたら、なんて運のいいことだと思うようにして、母ちゃんもちょっと頑張ってみようと思う。

 

今まで何度も死にたいと思って逃げた。

でもなにをしても死ねなかった。

それなら最後に、他人のために生きてみるのもいいのかもしれない。

まだ自分のことばかり考えてしまう、自分勝手で弱い自分のままだけど。

息子と一緒に、息子のために成長してみるのもいいかもしれない。

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