痩せ姫として生きるという選択肢。私が尊敬した生き方と将来のこと

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白いバラとアクセサリー

「痩せ姫」という言葉を始めて知ったとき、正直いいなぁって思った。

それを耳にしたのは、昨年観たニュース番組だったと記憶してる。

私が拒食症になって自己最低体重の37kgでいられたのは、もっとずっと昔、ダイエットが初めて成功した90年代のころにいちど。

そして2009年、ある現実が受け入れられなくて喉の奥に食べたものが詰まるという感覚に襲われ、吐くという行為で逃げようとしたときだった。

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私はただ痩せていたかった。

誰よりも痩せていたかった。

細くて折れそうな体を望み、それこそが正しいと思い、何を言われてもかたくなにやめようとしなかった。

普通ってなに?

自分の求めている見た目になることはいけないことじゃないのに。

世の中の皆だって、メイクしてダイエットしておしゃれして、脱毛して整形してカラーリングしてパーマかけて、なりたい自分になろうとしてる。

それとなにが違うの?

 

そのとき「痩せ姫」という言葉があれば。

私もそう言われる対象であれば、もうちょっと自己主張出来たかもしれない。

それができなかった私は、食べているふりをし、食べられないと嘘をつき、太れないと嘘をついた。

本当は痩せていたいだけなのに、そうじゃないふりをした。

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痩せ姫たちの行く道、私の選んだ道

倒れて眠る小さな女の子のお姫様とりんご

私は痩せ姫たちを否定も肯定もしません。

ただ、ずっとそれを続けていられる、その体型をかたくなに維持していられることに対して羨ましいとは思います。

けれども私は太ってでも普通の食事を摂れるようになれる未来を望んだ。

それだけなのです。

 

彼女たちの望みは、かたくなに太りたくないということだけ。

一部の痩せ姫たちは本当に治りたくないのです。

ていうか、治るってなに?

これが生きるための自分なのに。

アイデンティティー。

そんな言葉があるくらいだから、彼女たちにとってはそれがアイデンティティー、ということで受けとってあげることは出来ないの?

 

そんなに細くちゃ死んじゃうよって、太ってしまってまで生きていたくないのです、いられないとまで思っているのです。

私もそう思っていたときがあったから、その気持ちはわかる。

生きるためにそれを維持しているだけだと思うのです。

だって拒食じゃない女性だって、醜くなるくらいなら生きていたくないって普通に感じるでしょう。

それと同じなだけです。

痩せ姫たち

神秘的な赤い月

痩せにはいろんなタイプがある。

拒食で食べることを望まずに痩せているタイプ。

そんな時期を越えて、食の欲求に囚われて食べたことを「なかったこと」にするタイプ。

そしてそれを繰り返すタイプ。

 

ある痩せた女性に出会ったときのこと。

「あなたの体の中は今とても大変な状態なんだから食べなさい!吐くな!運動もドクターストップがかかってるからダメ!」

というまわりの言葉に

「自分のことは自分がいちばんわかっています、あなたたちに私のなにがわかるというの!」

そのとき細くて折れそうな体から溢れ出るエネルギーは、目には見えないけれどものすごく、拒食の経験のある私は何も言えずに彼女の信念を守った。

見た目からでもどう見ても健康とは思えないけれど

「食べなさい、運動をやめなさい!」

とは私には言えなかった(できるだけ吐かないでとは言った、吐くことの危険性を経験から知ってるから)

 

痩せ姫たちの食に対する「決めごと」はひたすらかたくなで、その心はいっぽん筋が通っている。

消え入りそうなシルエットは威厳が漂い「凛」としている。

痩せ姫たちには普通の人には理解されがたい、強い意思・・がある。

そこが好き。

そんな「凜」とした意志・・溢れる姿は美しいとも思う。

私はたくさんの痩せ姫たちに出会ったわけじゃないけれど、私の出会った彼女たちは女性として可愛らしい人ばかりでした。

私の尊敬する生き方をした人

桜並木を歩く老婆

なんでもないような生き方だけど、ひとつの信念を守り通したというところがすごい筋が通ってると思って、今でも尊敬している生き方がある。

それは、亡くなった父方の祖母のこと。

 

おばあちゃんの口癖。

「死ぬまで誰の世話にもなりたくない」

それを貫いて、最後肺に癌が見つかるまで誰にも頼らずにひっそりと離れで暮らしていた。

太りすぎだからと医者にダイエットを勧められ、病気になっちゃいけないと大好きなお饅頭を我慢してまで、ちょっとのごはんと苦手な野菜サラダを頑張って食べてた。

「パンツだけはどんなに貧乏でも、穴の開いた汚れたものは着けちゃいけない、何かあったときに恥ずかしいから」

それをずっと言われていたので、私も下着だけは安いものでもこまめに替えるようにしている。

 

おばあちゃんはヘチャむくれで太ってて、昔から外見を人にバカにされたという話をよくしていて、それでもちゃんと女性として当たり前のことをきちんとしていた。

女として人として、美しくある前に恥ずかしくないように。

誰にも迷惑をかけないように。

その考えにすごく共感を得た。

派手じゃなく、けれどもきちんきちんとひとつずつ、決めたことをやる生活。

その姿勢が女らしくて「凜」として見えた。

そのおばあちゃんが登場する記事→食べても太らない体になりたい!いっぱい食べたい、太りたくない!!

自分の介護はされたくない

車椅子

私は介護職経験者です。

だからこそそう思う気持ちが強いのかもしれない。

介護職はとても好きな仕事だったけれど、実際を言うとかなり壮絶な部分も多々あった。

介護されている認知症の老人は、もう何もわかっていないという人ばかりじゃない。

「ボケ」の一瞬に、ふと気づいてとても切ない顔をされることもあった。

恥ずかしい部分の世話を他人にされている。

しているほうはそんな気持ちはないが、されているほうはそう感じているのは当たり前なのだ。

 

私は親や旦那の介護はしてもいいと思っている。

けれども、叶うなら。

自分の介護は誰にもされたくない。

旦那にも子供にも、親にも介護職の人にも。

だって、パンツに穴が開いていても訴えられないかもしれないじゃないか。

そんなの耐えられない。

私も死ぬまで誰にも世話になりたくない。

 

けれども摂食障害というものを経験してしまっているし、それ以外でも体を酷使してきた。

とても後悔している。

今日明日、突然血管がぷちんと切れて倒れてしまわないという保障もない。

子供に恵まれたのでまだ元気で生きていたいけれど、どうか介護が必要になる前に迎えが来て欲しい、とは思ってしまう。

わがままな願いなのはわかってるけれど、おばあちゃんみたいに信念を貫いてひっそりと生きたい。

痩せていなくても女性として「凜」とした意志を持って生きたい。

そう願うのです。

介護職のときのこと→とある仕事に就いたら体型へのこだわりが変化した話

 

※「痩せ姫」と言う言葉はたぶんこの本からだと思います。

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